「いじめ、引きこもり、父の会社が倒産、精神を病んだ母がドラッグと闇金に手を出し借金まみれの家庭崩壊」
はじめまして、田中さおりです。
プロフィール詳細を見ていただきありがとうございます。
私はこれまで、
「ホント私の人生負け組だな…」
「いっそもう消えたい…」
「いや、やっぱりまだ人生諦めたくない!」
「でもやっぱり辛い…」
「私ってなんてダメなやつなんだろう…」
そんな葛藤を繰り返しながら、
親の問題に悩まされ、仕事はツライし上手くいかない、彼氏の一人もできなければお金もない。
そんな詰みまくり人生まっしぐらでした。
でも、
ネットを使い自分でビジネスをやる具体的方法というものを知ったことがキッカケで、
「本当に人生は逆転できるんだ」
と、確信を持てるまでになりました。
このサイトは、
私と似たような辛さを経験した人や共感してくれた人が、少しでも人生を好転させるためのキッカケやヒントになる情報を提供したい。
そんな思いから始めました。
良かったら以下の詳細プロフィールもご覧ください(^ ^)
何不自由なかった幼少期
私が子供の頃、父は自営業をしていました。
昔はバブルの影響もあってか父の会社は上手くいっていて、
当時は私も母もなかなかに裕福な生活を送らせてもらっていたと思います。
父は晩婚で出来た一人娘ということもあってか、とにかく何でも私に物を買い与えて甘やかし、母も優雅な専業主婦を謳歌して料理教室や趣味の洋裁を楽しんで過ごしていました。
家庭が壊れ始める
私が小学校高学年になる頃、これまで順調だった父の会社が上手くいかなくなり、母が父の会社を手伝うことに。
この頃から両親の関係が少しずつ悪化。
母は専業主婦で居たい人でした。
なので、
頭では仕方ないと思いつつも父に不満をためていったんでしょう。
母はよく父に対するグチを私に言うようになりました。
それからしばらくして、母方の祖母が病で亡くなりました。
祖母は母にとって絶大に精神的支えだった存在なので、母の落ち込みようはそれはひどいものでした。
その時期から父の会社の傾きもさらに悪化の一途をたどり、父も母を気遣う余裕はなく夫婦関係はますます悪化。
私は家の中のピリピリとした空気に鬱々とした気持ちになっていたのを今でもよく覚えています。
様子がおかしい子供になってしまった
小学校高学年頃から、私はボーッとすることが多くなりました。
夜はあまり眠れず、朝は起きられなくて頭が回らない。
その上、何をするにも億劫で無気力で表情が乏しい。
今思うと完全に様子がおかしい子供ですが、
当時は鬱とか心の病とかそういったものは今ほど重要視もされてなかったし、私のような人間は単に「グータラでダメなやつ」という認識を今以上にもたれやすかった。
親にもそう思われていたし、私自身も自分をそう思っていました。
高校でいじめに遭い、引きこもりに
高校に入学してからも私のボーッとした状態は継続していました。
その様子が何かシャクに障ったのか、クラスの中心的存在だった女子とその取り巻きの子たちから、突然嫌がらせを受けるように…。
彼女たちとは特別仲が良かったわけでも何でもなく、共通点といえば同じクラスってことくらい。
何より辛かったのはその状態を、目をそらして見ないフリした教師の態度でした。
「誰も自分のことは助けてはくれないんだ」
そう思った瞬間、
これまで無気力でボーッとして無感情な状態に加えて、
ダムが決壊するかのごとく絶望感でいっぱいになりました。
そこからしばらくして私は学校に行けなくなり、
高校を中退して引きこもりになってしまいました。
父の会社が倒産
両親の努力むなしく、父の会社は倒産してしまい、両親の仲はますます悪化。
加えて、
私が高校中退して引きこもりになってしまったことで、家の中の空気は最悪の状態に…。
父は幸いにも知り合いのツテで地元から離れて次の仕事をすぐに見つけることができました。
しかし、かつてのような裕福な暮らしはできるわけもなく、母も外で働く時間を増やさざるを得なくなりました。
母の父に対するグチはますますエスカレート。
引きこもりの現状への負い目と申し訳なさが大きかった私は、その時はただひたすらに母のグチを聞いてあげる日々を過ごしていました。
母がドラッグとパチンコに溺れ、闇金の取立てが怒涛のように押し寄せる
家族全員が人生どん底な空気全開の中、
母の様子が日に日におかしくなり、よく分からない取り立ての電話がかかってくるように…。
何度問いただしても母は理由を話そうとせず、はぐらかしてばかりでしたが、
ドラッグに手を出し、ドラッグを買うために闇金や生活費にも手をつけてしまっていたことが発覚しました。
(同時に仕事帰りにパチンコもするようになり、帰りが遅くなることも増えていた)
その頃から、
電話だけでなく、毎日のように闇金の取り立ても来るようになりました。
ドアを叩いたり、家の周りを怪しい車がずっとグルグル走って見張ってたり…。
今でもインターホンや電話の音が苦手になるくらい怖かったのを鮮明に覚えています。
父は地元を離れ仕事をしていたのもありましたが、
母が作った借金をどうにかするだけで手いっぱいな状態。
何よりドラッグに手を出し壊れた母の様子を見るのが怖かったんでしょう。
闇金への返済や壊れてしまった母への対処はほとんど、私と母の姉である伯母、そして祖父がしていました。
母は自分が狂ったのは自分の弱さのせいだと言いながらも一方で、
「自分がこうなったのは父と私の引きこもりのせい」
とも言い、私と父を責めました。
もう私もいっぱいいっぱいでした。
現状を脱するためにアルバイトを始めようとするも…
とはいえ
悲惨な現状を放置し続けるわけにもいかず、
「まずは私がなんとか外に出られるようになって働かないと…」
そう自分に言い聞かせて手に汗握り、めまいと動悸にさいなまれながらも、何とか人生初のバイトの面接を終えました。
結果、運良く面接に受かりさっそく次の日からアルバイトスタートとなりました。
自分自身への不安は抱えたままでしたが、面接が受かったという自信と安堵感も感じていました。
しかしその日の夜に事件が…。
アルバイト先で必要な靴を買うお金と交通費を、母に取り上げられてしまうという悲劇が起きました。
「家の外に取り立ての人が来てる!少しでもお金返さないとひどい目に遭う!」
そう言って私の財布を半ば強引に奪いました。
アルバイトは伯母から靴代と交通費を借りて無事に初出勤を終えましたが、
「もう母はかつての母ではなくなってしまった…」
そう思いました。
あのとき感じたなんとも言えない虚しさは今でも忘れることができません。
そして…
この事件の少しあとに両親は離婚しました。
父もどうしようもなくなって、
悩んだ末に決断したことだったのは分かっていたので、思うところはありながらも恨むことはできませんでした。
しかし、
この状態の母をこの先は私が背負っていかないといけない…と心に大きな重石が乗ったような感覚になりました。
母がいよいよ手に負えなくなり警察に相談することに
もっと早くにそうすべきだったと今では思いますが、
当時は、誰にどこにどのように母のことを相談して良いのか分からず、自分たちだけで必死に対処していました。
私も父も伯母も祖父も、皆が皆、疲弊していて思考が正常に働いていなかったのだと思います。
「もう私たちだけで対処するのは無理。警察に相談しよう」
そう伯母が切り出し警察へ連絡しました。
結果として、
尿検査をしても母の体から薬物反応は出ず、警察の人からは
「初めは売人も本物の覚せい剤とかを売っておいて、途中から尿検査しても反応が出ないような安物の合法ドラッグに替えていたんだろうね。よくあること。」
「警察に連絡くれたのは良いことなんだけど、検査で何も出なければ逮捕とかいったことはできないから…」
そう言われ、母が逮捕されることはありませんでした。
その後、
闇金の取り立てについても相談に乗ってくれた警察の人が良い人で、色々と対処してくれて、違法な取り立て行為はなくなりました。
母の状態も心理カウンセリングを受けたりして、少しずつ様子が落ち着いてきました(一時の間だけでしたが…)。
ようやくどん底な状態から少し光が刺したような気持ちになりましたが、状況が状況だったとはいえ
「自分の母親を警察に突き出してしまった…」
そんな葛藤と傷が長い間、自分の中に残り続けることになりました。
母の死
警察沙汰になって数年が経ち、私と母は別々に暮らしていました。
ドラッグに手を出さなくなったあとも、母には時折りお金の無心をされたりして頭を抱えていて、
「この先あと何年、母に悩まされる日が続くのか…」
そんな思いを抱えながら日々過ごしていました。
そんなある日、
突然母と連絡が取れなくなりました。
なんとなく嫌な予感がして母の住む部屋に急いで向かうと、
そこで死後数日経った母を発見しました。
その時のことは正確には覚えていませんが、しばらく放心状態だったのだと思います。
検視の結果、死因は急性心不全だと言われました。
事件性もなく母の遺体は警察から返されましたが、変わり果てた母の姿は今でも忘れられません。
でもショックと同時に、
「これで母から解放される」
という安堵感と、そう思ってしまう自分に嫌悪と罪悪感を感じました。
新たに発覚した借金とドラッグに手を出した本当のキッカケ
母の死からほどなく、母が消費者金融に借金をしていて光熱費なども遅れて払っていることが発覚。
ドラッグにはもう手を出していませんでしたが、遺品を整理していてパチンコや友人との交際費や買い物などで無駄使いしてしまっただと分かり、なんとも言えない気持ちになりました。
現状を受け入れられない心の穴を、お金を使うことで埋めていたのだと思います。
私にはそれをどうすることもできませんでした。
それと同時期に、
母と仲が良かった人から、母がドラッグに手を出したのは私が高校に入る前からだったことを聞かされました。
母に、
「自分がこうなってしまったのは自分の弱さもあるけど、父と私の引きこもりのせいでもある」
そう言われてから、私はずっと自分を責め続けていました。
母がああなってしまったのは自分にも大きな責任があるんだ、と。
でも本当のところは…
引きこもりで母を悩ませてしまったことは事実にせよ、ドラッグに走ったそもそものキッカケは私のせいではなかった。
自分を守るためのウソだった。
それを知った瞬間、
私の中で初めて母に対する許せない気持ちと、それ以上に悲しさががわいてきました。
最後の最後に母が私に残したものは
心の傷と、
ドラッグで作った元の借金に加え、新たに作っていた200万近くの借金でした。
仕事で鬱になってしまう
母の死からしばらくして気持ちも落ち着いた頃から、
これまで見ない振りしていた自分の心身がついに悲鳴をあげる事態に…。
引きこもりを脱して初めてアルバイトをしたときから、
「働くってなんて辛いんだろう…」
こんな感情は自分の中にずっとありはしたものの、
「それは誰しも思うものだ、甘えたこと考えちゃダメだ」
仕事が辛いと思う度に、そう考えて打ち消していました。
何より、
母の件でそれどころじゃない事態が長く続いていたので、
その時になってようやく
「自分は仕事にストレスを感じていて、もう限界なくらい辛いと思っている」という自分の感情に気づきました。
アルバイト時代に何とか高卒認定と夜間の専門学校に行き資格を取り、IT関連の会社で正社員になって働けたまでは良かったものの、仕事のストレスが日に日に大きくなっていました。
・だんだんと増えていく残業(なのに朝は変わらず早い)
・口を開けば互いの陰口ばかり叩き合っている職場の人間関係
・仕事のストレスを抱えながら一生働き続けられるのか…というこの先の人生への不安
・平日の疲れで休日は誰とも会いたくなく、どんよりした気持ちで過ごす
・明日からまた仕事…そう考えただけで心臓が締め付けられるような感覚になる
そんな現状も気持ちも切り変えるべく、思い切って転職するものの解決はせず…
心の状態は悪化の一途をたどっていました。
ネットで起業して大金を稼ぎ自由を謳歌している人の存在を知る
「もう仕事に行きたくない」
「何かもう全部に疲れた」
「私ってなんのために生きてるんだろう」
「休みたい、何もしたくない」
そんな鬱々とした思いを常に抱えながら、いつものようにネットサーフィンしていました。
すると、
「ネットビジネスで成功して、人に雇われるストレスもお金の心配もなく自由な時間も手に入れた」という人のブログを偶然発見。
「うわー、うさん臭い…」
そう思いつつも何だか妙に気になってしまい、その人の記事をいくつか読んでみました。
すると、
言っていることが正確で客観的で的を得ているものばかりでした。
ネットビジネスというもの自体はまだうさん臭く感じていましたが、その人の主張には共感するものが多く、
「このまま何十年も働き続けられる自信なんてないけど、この人の言ってるネットビジネスであれば、自分に合った働き方や生き方ができるのかもしれない」
自分の人生に一筋の光が差したような、そんな気持ちにもなりました。
そうしたことがキッカケで、
ネットビジネスに取り組んでみることにしました。
父が退職してすぐに病に倒れる
「ネットビジネスで自分の人生も生まれ変われるかも」
そんな希望を抱き、ネットビジネスの勉強に取り掛かった矢先、
定年退職して地元に帰ってきていた父が倒れる事態に。
もともと悪かった腎臓の状態が悪化してしまったのが原因でした。
仕事と父のサポートの両立でクタクタになってしまい、
ネットビジネスの勉強も思うように進められなくなってしまいました。
体が辛くて医者にも私にも当たるようになる
父の腎臓の状態は極めて悪く、人工透析という治療をする事に。
透析は週に3回、数時間の治療が必要なしんどいもので、塩分やタンパク質量を抑えるなど、厳しい食事制限も必須でした。
病院の送り迎えに入退院や食事のサポートなど、私も自分ができる最大限のことをしましたが、もとより濃い味好きの父は食事制限にストレスをためていき、隠れて暴食しては病状が悪化して病院に駆け込み担当医に怒られる、というのを繰り返していました。
そのうちに、
腎臓以外の箇所も悪化していき、思うようにならない自分の体にイライラをためた父は、私や担当医・看護師の人に当たり散らすようになりました。
担当医からは、
「これ以上、問題行為を起こすようなら受け入れ拒否をせざるを得ない」
そう警告されました。
「病気になった本人が一番辛い」
頭ではそう思うものの、
仕事でクタクタな上に、病院では父の態度に頭を下げ、当たり散らしながらもすがってくる父のサポートで限界になってしまい、やると決意したネットビジネスの勉強も準備も遅々として進まないことにジレンマを感じていました。
もう限界
父の病状と態度は悪化の一途をたどっていき、それに連れて私への依存もより一層強くなっていきました。
「病気の親を見捨てることなどできない…」
そう思う一方で、
「自分中心の人生を考えてもいい日はいつ来るんだろう」
「この状態はあと何年続くんだろう」
そんなことを日々考えながら、
そんな後ろ向きな感情ばかりがわく自分に嫌気も差し始めていました。
そのうちに、
「あぁ、私もう限界かもしれない」
そう思うようになりました。
自分なりにこれまで色々頑張ってきたけど、もうしんどいな。
心が完全に折れる寸前でした。
父の死
父の体の状態は悪化していき、完全入院を余儀なくされることに。
さらに入院中に脳出血まで起きてしまい、
担当医からは「このままでは長くは持たない」と宣告されました。
最終的に半身麻痺にまでなり、視力も失い言葉も交わせなくなった父の姿は看ていてとても辛かったです。
さらに担当医から、
延命治療をするかの選択を迫られました。
父は病気になる以前、
「管だらけになって植物人間みたいになって生きるのは嫌だな」
「死ぬときはできるだけ楽に死にたいもんだな」
そう言っていたことがありました。
そのときの父の言葉を思い出し、
私は父の延命治療はしない決断をしました。
そうして、
脳出血が起きてから約二週間後に父は息を引き取りました。
悲しみと同時に母のときと同様、
「ようやく解放される」
そう思う自分がいました。
私はそんな思いがわいた自分に罪悪感と恐ろしさを感じました。
“延命治療を望まなかったのは父のためではなく、自分が楽になりたかったからというのが本当の理由だったんじゃないか?”
そう自分を責めるようになり、
眠れない日々がしばらく続きました。
でも、
私自身も精神力が切れる寸前でした。
もし延命治療を望み、父の命が永らえていたとしても、
きっと私は心身ともに潰れていたと思います。
罪悪感は消えないながらも、
「あとは自分の人生の心配だけすればいい」
「これからは自分のことを最優先に考えてもいいんだ」
そう肩の荷が降りたような感覚になったのも正直なところでした。
本格的にネットビジネスに取り組む
父の死から少し経過して気持ちも落ち着いてきた頃、思うように進展させられずにいたネットビジネスを再稼働させました。
再稼働して少しして、収益も出せるようになってきました。
(以下、実績の一部です)
そんなときに、
久しぶりに会った友人と食事をする機会があり、お互いの近況を話し合っていました。
食事を開始してしばらくして、
「最近、仕事がホント辛くてしんどいんだよね…」
そう友人が切り出しました。
友人の職場は残業が多く人の入れ替わりが激しい、いわゆる典型的なブラック企業でしたが、それに加えて上司や同僚からのセクハラやパワハラにも悩んでいました。
友人と母が重なる
そんな友人が会話の中で、
「お金があれば全て解決できるわけじゃないけど、実際お金があれば解決できることの方が多いよね」
「わざわざ嫌な職場に行かなくていいし、朝早く起きなくていいし、もう専業主婦になりたいよ」
「あぁ、でも夫に何かあったら結局働かなきゃいけないだろうし安心はできないよね…」
このようなことを言っていました。
その言葉や姿に、
母が生前に似たようなことを言っていた時と重なりました。
「立て直すにも何をするにも、先立つもの(お金)がなければ選択肢は少なくなるもんだよ」
母が言ったこの言葉は、なぜかずっと私の頭に残っていました。
人生に”たられば”はないけど…
友人と母がその日は妙に重なって見え、
ふと、今自分が取り組んでいるネットビジネスのことを考えました。
ネットビジネスのことを教えてあげたら、もしかしたら友人を助けることができるのでは?
そう思い、
「実は今ネットビジネスってのをやってみてるんだよね」
こう友人に切り出しました。
どんなものか一通り話し終えたあと
「面白そうだね。でも私には難しそう」
そう言った友人に対し私は、
「そんなことないよ。勉強なんて下から順位数えた方が早いくらいだった私ですらできる事なんだよ。興味があれば教えるよ?」
「そうなんだ。怪しいものでもないのは分かったけど、やっぱり会社勤めがなんだかんだ言って安定だとは思うんだよね、まぁしんどいけど」
「とりあえずは転職しようと思う。まぁ働くこと自体がしんどいけど、今よりはマシになると思うし」
「…そっか。もし後で興味わいたらいつでも連絡してね」
そんな会話をしてその日は別れました。
友人の後ろ姿を見ながら私は、
「無理強いするものでは当然ないけど、ネットビジネスというものをもっとちゃんと掘って説明していればよかったな」
と、後悔していました。
転職すればたしかに今の職場からは解放されるけど、働くのしんどいという友人の根本の悩みは職場が変わろうとずっと続くわけで…。
今自分が取り組んでいるネットビジネスであれば、友人の悩みを根本から解決できるのにな…
もし、
もっと早く自分がネットビジネスのことを知って今以上に成功していれば、説得力も大きかっただろうか…
もしかしたら、父と母のことも、自分がもっと早くネットビジネスを知っていて成功していれば、金銭的にも精神的にも余裕ができて、今とは違う結果にすることも可能だったのかも…
人生に”たられば”はない。
でも、
その日はそんなことをずっと考えていました。
これまでの経験で決意したこと、自分の使命
私は、
仕事のストレスでいっぱいで心に余裕のない鬱な状態の中で父のサポートや介護する経験を経て、母の気持ちもよく分かりました。
夫婦関係が悪化する中、
かつての裕福な専業主婦時代の生活とは打って変わって、自分も家計を支えるために働きづめになり仕事のストレスを抱えながら、家事も子育てもやらねばならない…。
だからといって
現実逃避してドラッグや闇金やパチンコに手を出して良い理由にはならないけど、
「もういっそ全部投げ出したい」
「でもそれじゃ自分は生きていけない」
「この先も自分は、こんな不安やストレスを抱えて行きていかないといけないのか…」
こういった感情は今の私ならとても理解できます。
父も最後まで手のかかる人ではありましたが、私にかかる負担を少しでも減らそうと体が悪化するギリギリまで仕事をし、母が作った借金を離婚後も可能な限りの額を負担してくれていました。
言葉足らずな職人みたいな性格だったゆえに、口にこそ出しませんでしたが、母がおかしくなり家庭崩壊するキッカケを作ったのは自分だと、父は最後まで自分を責め続けていました。
「お金だけが全てではない」
よく聞く言葉だし、私もそう思います。
しかし、
両親は元はとても仲の良い夫婦でしたが、父の会社が倒産し、金銭的にも精神的にも余裕のない生活になってから関係が悪化しました。
・余裕がある時は笑って許せたことも許せなくなる
・仕事や家事や育児、日々のストレスで手一杯で家族や身近な人を気遣う余裕なんてない
誰にでもあることだけど、
両親はこういったことが積み重なった結果、
お金がキッカケでお金以外のものも大きく失うことになりました。
お金の問題以前に、
日頃からちゃんと話し合いコミュニケーションを取る努力が両親には足りなかったとは思います。
でも…
・お金がない
・お金がなくなる
・将来生活できなくなるかも…
・今どんなに辛くても働いて稼ぎ続けなきゃいけない
という状態は、
そんな「お金以外の大切なもの」に目を向ける余力やキッカケを吹き飛ばし、心を病ませるだけの威力があるのも事実だと私は痛いほど経験しました。
「お金だけが全てじゃない」
このセリフは、
一定以上の生活水準を得ている人が言えるものだと、
私は思います。
“清貧でいられるほど立派な人間のほうが少ない”
これが事実じゃないかと。
仕事や家庭や人間関係や個人の悩み、日々のストレス大きければ大きいほどに。
私はこれまでの経験を経て、
・自分はストレスに弱いと感じる人ほど
・仕事や日々のストレスが大きい人ほど
お金にも時間にも余裕のある状態を目指し、心を安定させることが必須だと感じます。
そうして色々調べるうちに、自分と同じような悩みや経験をしている人は、思った以上にたくさんいるんだということを知りました。
・働くのが怖い、しんどい、もう疲れた
・この先もずっと働き続けられる自信がない
・自分の好きなことをして生きていきたい
・仕事や日々のストレスで家族や周りの人に当たってしまうのがツラい
・いっそ専業主婦になって楽になれたら良いけど、そんな甘いわけがない
・自分の生活だけでも手一杯なのに、親の世話までしなきゃいけないのがツライ
・とにかくお金の不安から解放されたい
共感できるものばかりでした。
もし自分の経験や学んだことが、
こういった苦しい思いをしている人の悩みを解決できるキッカケになるのなら、大げさかもしれないけど、その方法を伝えることが自分の使命だと感じ、このブログを作ることとなりました。
長い長いプロフィールとなってしまいましたが、
このブログがあなたの悩みを解決するヒントになってくれたら幸いです。
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